鐵砲洲稲荷神社の由来

鐵砲洲稲荷神社は、841年、平安時代初期にこの地の住民がうち続く凶作に教えられるところがあり、自らの産土の国魂神を祀り、万有の命を生かし成したまえる大御親神生成の大神として感謝し、日々の御守護を祈願したものです。

江戸時代は、現在の隅田川に面する“鉄炮(砲)洲”と称される場所にあり、その立地から各地から江戸に荷物を運ぶ、いまの貨物船の船乗りたちからも篤く信仰されてきました。当時の情景は、歌川広重の「名所江戸百景 鉄炮洲稲荷橋湊神社」にも描かれています。1868年(明治元年)に築地外国人居留地の開設にあたり御用地となったことから、替地として現在の地へ移転。神社は関東大震災で被災したものの、第二次世界大戦の戦禍は免れたため、昭和初期に建てられた建物群が残り、中央区の区民有形文化財に登録されています。

氏子を構成するのは
京橋五之部の湊1-3丁目・明石町・入船1-3丁目・新富の8町会
四之部の銀座1-5丁目東・6-7丁目東西・8丁目東の8町会、新川2丁目越一町会

例大祭は5月の2日~5日で、江戸下町の神社では先陣を切って神輿が出ます。

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