漁師由来の郷土めし、松尾芭蕉の庵、家康が命名… 江東区・深川を江戸散歩

2019.06.22(土)

11:50

東京の魅力を再発見するTOKYO MX(地上波9ch)の情報生番組「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」(毎週土曜11:00~)。5月25日(土)放送の「もっと進め!江戸小町」のコーナーでは、江東区深川界隈を巡りました。

東京の魅力を再発見するTOKYO MX(地上波9ch)の情報生番組「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」(毎週土曜11:00~)。5月25日(土)放送の「もっと進め!江戸小町」のコーナーでは、江東区深川界隈を巡りました。

◆“深川”の由来は人名だった

かつて湿地帯だった深川が開拓されたのは、慶長年間(1596~1615年)のこと。摂津国(現在の大阪)出身の深川八郎右衛門が、一族を連れてこの地に移り住み、新田を開拓していきました。

そこへ、徳川家康が巡視にやってきます。地名を尋ねる家康に、「まだ住む人も少なく地名もない」と答えたところ、家康は八郎右衛門の姓“深川”を地名とするよう命じたとのこと。以来、深川は江戸の繁栄とともに賑やかな町となりました。

八郎右衛門が創建した「深川神明宮」には、これらの由来が記された石碑が置かれています。

◆俳号「芭蕉」を使い始めた地

深川は、「南総里見八犬伝」の作者・曲亭馬琴が生まれ、平賀源内や伊能忠敬、松尾芭蕉が住むなど、数々の文化人にゆかりのある土地です。

今回は、芭蕉の足跡をたどるため「江東区芭蕉記念館」へ。

「宗房」「桃青」という俳号で句を詠んでいた芭蕉。「芭蕉」と名乗るようになったのは、深川に庵を結んだことがきっかけでした。

俳号の由来となったのは植物の「バショウ」。弟子が贈ったバショウが見事に茂ったことから、庵は「芭蕉庵」と呼ばれるように。そこから、「芭蕉」という俳号を使うようになったのだそうです。

青々としたバショウを横目に、館内へ。展示室には、芭蕉の生涯や時代背景、深川とのかかわりなどを示す資料がずらりと並びます。なかには、芭蕉直筆の「おくのほそ道」(複製)も。

「おくのほそ道」は、東北や北陸などの旅先で起こった出来事や、詠んだ句をもとに創作した紀行文。150日かけて2,400kmもの距離を歩き、行く先々で俳句を添削しながら旅費をまかなっていたそうです。

◆塩の道、そして参拝ルートへ

続いてやってきたのは、江東区を東西に横断する人工河川「小名木川」。

江戸湾は遠浅の地形。千葉と江戸を行き来するには、沖合を大きく迂回しなければなりませんでした。しかし、塩を江戸へ効率的に運びたかった家康。小名木四郎兵衛に命じ、全長5kmにおよぶ運河を建設するにいたりました。

当時は“塩の道”として活用された小名木川。江戸時代中期に入ると、成田山への参拝ルートとしてにぎわうようになりました。

◆漁師町だった深川の郷土めし

最後は、深川の郷土料理「深川めし」をいただきます。

深川めしは、アサリやハマグリ、油揚げ、ねぎなどを加え、醤油風味でごはんと炊き込んだもの。埋め立て前、漁師町だった深川で、漁師がまかないとして食べたのが始まりといわれています。

向かったのは、1924年創業の老舗「割烹 みや古」。吸物、小付、新香がついた「深川めしセット」(1,500円)は、ごはんをだし汁とともにわっぱで炊き込んだ逸品。炊きあがってからアサリを加えるので、身が縮まず、おいしくいただけるのだそう。

400年もの歴史をもつ土地や川、ゆかりある文化人のエピソードなど、江戸の魅力がつまっていた深川界隈。次回の放送も、スポーツの魅力や江戸の歴史などをお届けします。お楽しみに!

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<番組概要>
番組名:週末ハッピーライフ!お江戸に恋して
放送日時:毎週土曜 11:00~11:55 「エムキャス」でも同時配信
レギュラー:朝比奈彩、松尾雄治、堀口茉純、田中雅美
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/edokoi/
番組Twitter:@edokoi9ch

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