【震災15年-記憶を備えに-】震災に山林火災も…“二重被災”大船渡市のいま「ようやく一歩」

2026.03.11(水)

10:20

東日本大震災の発生から今年で15年となります。TOKYO MXは震災と向き合い、記憶や教訓を未来へつなぐ特集『震災15年-記憶を備えに-』を4回にわたってお伝えしています。今回のテーマは『震災と山林火災“二重被災”に見舞われた岩手県大船渡市のいま』です。大船渡市は岩手県の沿岸南部に位置し、コンテナ船による海外との定期航路を持つ国際的な港湾都市です。またサケやサンマ、マスなどの水揚げが多く、漁業の街としても栄えています。その大船渡市は15年前の東日本大震災では最大震度6弱を観測し、高さ11.8メートルの津波が押し寄せました。そして復興に向けた歩みを進めている中、2025年2月には国内最大規模となる山林火災が発生しました。15年の間に2度の大きな災害に襲われた大船渡市の「いま」を取材しました。

東日本大震災の発生から今年で15年となります。TOKYO MXは震災と向き合い、記憶や教訓を未来へつなぐ特集『震災15年-記憶を備えに-』を4回にわたってお伝えしています。今回のテーマは『震災と山林火災“二重被災”に見舞われた岩手県大船渡市のいま』です。大船渡市は岩手県の沿岸南部に位置し、コンテナ船による海外との定期航路を持つ国際的な港湾都市です。またサケやサンマ、マスなどの水揚げが多く、漁業の街としても栄えています。その大船渡市は15年前の東日本大震災では最大震度6弱を観測し、高さ11.8メートルの津波が押し寄せました。そして復興に向けた歩みを進めている中、2025年2月には国内最大規模となる山林火災が発生しました。15年の間に2度の大きな災害に襲われた大船渡市の「いま」を取材しました。

三陸海岸の真ん中に位置する岩手県・大船渡市の大船渡港近くで特産品であるサンマやワカメなどの加工食品を製造・販売する森下幹生さん(76)の会社は15年前の津波で、本社だけでなく2つの工場と冷蔵倉庫も被災しました。森下さんは「2階の窓の少し上まで津波が来た。材木やがれきが2階のガラスをどんどん突き破り、中まで入ってきた。これでは会社も魚の加工ももうできないという諦めだった」と当時を振り返ります。

被害総額はおよそ10億円にも上りました。先行きが見えず諦めかけた気持ちを奮い立たせたのは、かろうじて残った工場の姿でした。森下さんは「ガレージは被災したが柱がしっかりしていたから、これは再建できるのではないかと。1週間ほどたって、先が明るくなってきた。やる気が、気持ちの切り替えが出てきた」と当時を振り返ってくれました。

国の支援なども受けて4カ月後に生産ラインの一部を再開し、1年後には震災前の規模に回復しました。そして震災から8年後の2019年以降は震災前を上回る業績を上げ続けています。しかし、去年=2025年2月、市の面積のおよそ1割が焼けた山林火災により、三陸町綾里地区にあった森下さんの自宅は全焼しました。被災直後の去年3月、東日本大震災も乗り越え、半世紀にわたって家族を守り続けてきた自宅を前に、森下さんは「たった14、15年の間に、形は違ってもまた今回こんな状況になってしまった」「がれきの上に登っていろいろ見ると、全部今まで生きた形跡が残っていないし、思い出も生活も跡形もない。それはちょっと込み上げてくるものが…」と話していました。

あれから1年──。自宅があった場所はさら地になっていました。森下さんは「なんとかようやく一歩を踏み出せるような状況になった」といいます。

森下さんは被災後アパートを借り、自宅があった同じ場所に家を再建しようと考えました。しかし家の裏にある山の木が焼失したことにより土砂災害の危険が高まったことや、地域一帯が火災の被害を受け、戻ってくる人が少ないことなどもあり、森下さんは戻ることを諦め、市街地に住むことを決めました。森下さんは「次の生活、次の仕事に踏み出してきているのでは。まだ仮設住宅にいたり家の再建が進まなかったりまだまだ足りないけれども、まずなんとか前に踏み出すことができたのでは」と、前を向きます。

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