<戦後80年>奇跡的に空襲逃れた「外食券食堂」 食のありがたみ伝える2代目女将

2025.08.14(木)

10:20

終戦から80年となるこの夏、TOKYO MXは『20代記者がつなぐ戦争の記憶』として連日お伝えしています。今回のテーマは「戦時中の食から学ぶ」です。

終戦から80年となるこの夏、TOKYO MXは『20代記者がつなぐ戦争の記憶』として連日お伝えしています。今回のテーマは「戦時中の食から学ぶ」です。

戦争が長期化する中、不足する生活物資を確保するため、米や砂糖をはじめとする多くの主要な食料が「配給」の対象となり、配給切符がないと生活必需品を手に入れることはできませんでした。家庭で必要な食材が配給制で規制されたことに加え、戦時中は外食にも規制がかけられていました。食糧難となった戦時下に外食で食堂を利用するには、自炊が難しい単身赴任の人など外食を中心に生活する人のために配られた「外食券」を持って店に行かなければなりませんでした。この対象となった店が「外食券食堂」です。この「外食券食堂」になった店は今はほとんど残っていませんが、現在でも東京・両国駅の近くに続いている食堂があります。食堂が歩んだ歴史、そして女将(おかみ)が今の時代に何を残したいのか取材しました。

開戦前の1932年に創業した「下総屋食堂」──。両国駅近くにあるこの店の周辺は、下町を中心におよそ10万人が命を落とした1945年3月10日の東京大空襲で大きな被害を受けましたが、この食堂は奇跡的に戦禍を逃れました。今も90年以上前の開業当時の建物のままで営業を続けています。

「ここは焼けなかったが、火の粉が清澄通りから向こう全部、亀戸まで見えた。火の粉が結構飛んできたから消していた」と当時の様子を語るのは、戦後に横浜から嫁いできた2代目女将(おかみ)の宮岡恵美子さん(93)です。宮岡さんは先代から聞いた戦時中の状況を客に話すなど、戦争の記憶を継承しながら、現在、店を切り盛りしています。

戦時中、米や食糧が配給制となり、各地の食堂は外食券がないと食事ができない場所となりました。しかし食堂に供給される食料は限られていて、訪れる客に満足のいく量の食事を提供することはできなかったといいます。宮岡さんは「外食券の人たちはもっと食べたくても食べられなかった。(外食券では)お代わりできないから」「それしか食べられないというのでお客さんも諦めていた」と当時を振り返ります。

終戦を迎えた後も外食券の制度は残り、宮岡さんが下総屋食堂に嫁いだ1954年ごろまで続きました。食堂ではサツマイモや大根で米をかさ増しするなど工夫をしていましたが、それでも十分な量には足りず「配給だけでは足りないから、結構、闇米を買っていた」(宮岡さん)といいます。宮岡さんは「お金を持っていてもお米は買えなかった。農家に行ってもお米を売ってくれない状態だった。白いご飯食べたかった。白いご飯食べられなかった」と話します。そして「(今は)ご飯山盛りにして、肉いっぱいにしている。ぜいたくというか…、私なんかはもったいないと思う。何しろぜいたくね。ぜいたくはぜいたく」と話しました。

戦後80年。宮岡さんは働き続けられる限り食堂に立ち続け、ご飯が満足に食べられることのありがたみや喜びを伝えていきたいとしています。

<継承が途絶えることへの不安も…>

下総屋食堂を営む宮岡さんは今年の年明けに病気をしてから足を痛め、店に立ち続けることが難しくなっているといいますが、元気な間はずっと店を続け、戦中戦後の厳しい時代があったことを継承し続けたいと話しています。しかし、いつまでできるか分からないと、記憶が途絶えることへの不安も口にしていました。

<戦争体験者の思い伝える漫画『戦争めし』 食事を通して戦争を描く>

食を通じて戦争について知ってもらおうと、戦時中の食事をテーマとした漫画もあります。作者を取材し、作品を通じて伝えたい思いを聞きました。

2015年に連載が始まった『戦争めし』は、戦争に苦しむ人々の姿と当時の食べ物を描いたもので、現在11巻まで発行され、テレビドラマ化もされた作品です。

作者の魚乃目三太さんは「当初、戦争漫画は読んでもらえないというのが出版業界の常識だった。ご飯という間口の取っかかりやすさで戦争を知ってもらえるから、読んでもらえている」と話します。

魚乃目さんが『戦争めし』を描くきっかけになったのは、ニュースで見た“半裸の日本兵が武器を持たず、飯ごうを握り締めていた絵”でした。魚乃目さんは「どうして飯ごうだけ持って逃げているのか分からなくて調べた。自分たちでご飯を炊いて自分たちで調理をして自分たちのご飯を作りながら戦っていたという、世界でも結構珍しい形の軍隊があったということを知って、戦争とご飯に興味を持った」と語ります。

作品は戦争体験者を取材し聞いた話を基に史実を組み合わせ、物語として作り上げられます。

魚乃目さんが特に印象的だと話すのが、長崎原爆のエピソードです。

長崎に原爆が投下された8月9日、工場での奉仕活動中に原爆が落ち、翌日、必死の思いで自宅へと戻った被爆者の話を再現したもので『家族が亡くなる中、焼け野原に残った釜に白いご飯が残っていた』というストーリーです。この日、長崎は2カ月ぶりのコメの配給日で、母親が子どもたちに白米を炊こうとしていた様子が描かれています。

魚乃目さんは“食を通して伝える漫画”だからこそ見える戦争の表情があると話します。魚乃目さんは「思い出を語る感じですね、戦争を語るんじゃなくて。それはそれですごく新鮮な感じがする」として「たぶん、仲間と過ごした時間もそこに入っていると思う。その時の思い出がよみがえったりするので、苦労はあるが楽しみもあったのではないか」と話します。そして「戦後100年はたぶん誰も戦争体験者がいない。もしかしたら違う形の戦争が起こっているかもしれない。そういう時に(漫画『戦争めし』が)平和活動の一つになったらいいなと思う」と語ってくれました。

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