東京・豊島区東池袋の路上で高齢者の運転する車が暴走し、親子2人が死亡した事故の発生から6年がたちました。妻と娘を亡くした松永拓也さんは事故現場を訪れ2人の死を悼むとともに、事故のない社会の実現を誓いました。

妻と娘が命を奪われたあの日から6年となった2025年4月19日、事故発生時刻の午後0時23分に松永拓也さんは事故現場の交差点で静かに手を合わせました。松永さんは「この先も妻と娘の命を無駄にしないという思いで生きていく、心配しないでくれという思いで手を合わせた」と語りました。
2019年4月19日、豊島区東池袋の路上で当時87歳の高齢者が運転する車が暴走しました。車は通行人を次々とはね、9人がけがをし、松永真菜さん(当時31)と娘の莉子ちゃん(当時3)が亡くなりました。
事故から6年となるのを前に、この日、松永さんが出迎えてくれたのはリフォームされたばかりの、以前過ごしてきた部屋でした。松永さんは「事故から5年間、ずっと1人で住むことができなくて。実家に世話になっていたが、ずっと迷惑をかけ続けるわけにもいかないので。かといって、妻と娘と住んだままの昔の光景で住むのもどうしてもしんどくて」と語りました。
6年を経て暮らしを変える決意をした松永さんですが、今も変わらないのは、亡くなった2人への思いです。松永さんは「夜、まだ眠れなくて。慣れていないので」と語ります。そして「改装が終わって初めて寝た日の夜は真菜が夢に出てきた。夜3時ぐらいまで寝られず、うとうとした時に真菜が夢に出てきて『拓』って名前を呼ばれてまた目が覚めてしまった」と話してくれました。
暴走事故を起こした当時87歳だった飯塚幸三元受刑者は、ブレーキとアクセルを踏み間違えたとして過失運転致死傷の罪で禁錮5年の実刑判決が確定しました。しかし2024年10月、服役中に老衰のため亡くなりました。
妻と娘の命を奪った事故の加害者が死亡したことを知って松永さんが感じたのは、怒りよりも深いむなしさだったといいます。松永さんは「(彼は)妻と娘の命を奪いたくて奪ったわけではない。だから、すごくつらいことだと。私自身すごくむなしい気持ちになった。もし、あの池袋暴走事故というものがなければ妻も娘も今、私の隣で生きていただろうし、私もこんな悲しみや苦しみを知らなくてよかった。飯塚さんも穏やかな老後を家族で過ごしていただろう。“誰も幸せになっていない”と思った」と語りました。
交通事故は“誰も幸せにならない”事態を引き起こしてしまう──。松永さんは事故を減らす社会を目指し、全国各地で幅広い世代に向けた講演活動を続けています。講演会では「運転して帰ってきた時に『ただいま』『おかえり』とお互いに言い合える社会であることを願っている」とも訴えています。
被害者にも加害者にもならないために、多くの人に“自分ができることを考えるきっかけ”を届けています。松永さんは「(被害者を)いかに減らしていくのか、どうやったら減らしていけるのかというところに、僕は結び付いてほしい。私自身の苦しんでいる姿を“自分事”として、ぜひ自分自身にできること、被害者にも加害者にもならないために何をすればいいのか、未来を考えていただけるきっかけになってもらえれば」と話しています。