処方箋が必要な薬は災害時の避難所でも備蓄ができず、これまでの災害でも不足した事例が数多くありました。こうした状況の改善策として期待されているのが「モバイルファーマシー」と呼ばれる“走る薬局”です。現状と課題を取材しました。

岩手県大船渡市で発生した山林火災は、発生から1カ月以上たった今も鎮火には至っていません。避難指示が解除され、炎を逃れた住宅に戻ってくる住民の姿も見られる一方で、道を挟んだ向かい側では焼けてしまった建物も見られます。
大きな被害をもたらした山林火災によって避難生活を余儀なくされた地元住民の新沼公明さん(69)は、避難所では火の手が急に迫ってきたため、着の身着のままで逃げてきた人が多かったといいます。新沼さんは「急に避難したので、飲み薬をなかなか手に入れられなかった。2、3日は病院にも行けず大変だった」と話します。
新沼さんは避難所の環境について、食事やプライバシー保護の面では東日本大震災の時に比べて改善されたと感じたといいます。しかし薬不足、特に処方薬では課題が多かったと指摘します。
こうした避難所での薬不足は能登半島地震でも大きな課題となっていました。現場で医療支援に当たった東京医科大学付属病院の中江竜太医師は、地震が元日に発生したため、正月休み明けに処方薬の受け取りを予定していた人が多く、薬不足は特に深刻だったといいます。中江医師は「僕が被災地に行ったのは1月9日だったが、発災から1週間たち、薬切れを起こす人が多かった」と証言しました。
避難所での薬不足の状況を把握するため、避難者285人を対象に中江医師が行った調査では、薬を日常的に服用している60人のうち、3割以上の21人が「3日以内に」、また半数以上の31人が「7日以内に」薬が完全になくなってしまう状況だったといいます。
中江医師は「例えば、いわゆる血液さらさらの薬と呼ばれるような抗血小板薬や抗凝固薬が切れてしまうと心筋梗塞などを発症してしまう」と指摘します。
災害関連死にもつながり兼ねない“避難所での薬不足”に対し、この問題解決に期待されているのが「モバイルファーマシー」です。モバイルファーマシーは東日本大震災を機に宮城県の薬剤師会が開発したもので、調剤機能を備えた“走る薬局”です。
東京都も今年度=2025年度に初めて1800万円の予算で1台導入されます。東京都保健医療局の中島真弓薬務課長は「薬局が少ない地域・ない地域もある。災害時に復旧が遅い地域もあるかもしれない。そこで都としてモバイルファーマシーを1台購入し、医薬品供給体制の充実を図ることにした」と説明します。
“走る薬局”には一体どのような機能があるのでしょうか。
モバイルファーマシーを使用して熊本地震や能登半島地震の被災地で実際に活動を行った、薬剤師で東京薬科大学客員教授の松本有右さんは、車内で調剤も行えて心強いと説明します。他にも、車内には300種類以上の医薬品が保管できる棚や、温度管理が必要な薬を管理するための冷蔵庫も完備されています。さらにソーラーパネルや自家発電機も搭載されていて、インフラが寸断された地域でも自立した活動ができ、重要な役割を担うことが可能となっています。
一方で、全国での設置台数は昨年度=2024年度時点で21台となっています。この現状に松本さんは警鐘を鳴らします。松本さんは「(モバイルファーマシーがあるかないかは、東日本大震災の頃と比較して)これはもう、全然違いますね。あることですぐに薬剤師としての仕事ができるのが、ものすごくメリットがある。1つの県で最低でも1台ぐらいないと駄目かなと思う」と話しています。
<“移動する薬局”導入進まぬ3つの理由「資金・人員・平時の利用制限」>
モバイルファーマシーが導入が進まない理由として、岐阜薬科大学が全国47都道府県の薬剤師会や55の薬学部を対象に調査を行ったところ、導入しない理由として「資金面」「人員不足」「平時の利用制限」が挙げられました。
まず「資金面」です。2025年度に導入が予定されている東京都の場合、1800万円の予算額となっていて、決して小さな金額ではありません。実際、大船渡市のある岩手県でも県薬剤師会が導入を希望し、岩手県に相談しましたが、費用の都合で導入には至っていません。
次に「人員の問題」です。モバイルファーマシーを使い慣れている薬剤師の人材が不足していることや、人材の育成が課題となっています。
最後に、導入が進まない大きな理由として「平時の利用に制限がある」ことが挙げられます。現在は「平時」に移動型薬局として医療過疎地域で活動することはできません。薬剤師法で「薬剤師は薬局以外で調剤してはならない(災害時などの除外規定あり)」と規定されているためです(薬剤師法・第22条)。
この「薬局」に関する規定ですが、薬局として認められるためには「特定の場所に対する開設許可を受ける」ことや「広さや動線など構造上の要件を満たす」ことなどが必要です(薬機法・第2条など)。そのため、車の特性上“特定の所在地”を持たないことなどから、災害時しか薬局としての利用ができないのです。厚生労働省は現在のところ、モバイルファーマシーの平時利用に向けた法改正は検討していないといいます。
<「お薬手帳」の活用も…>
薬を備蓄しておくことも重要ですが、私たちが今すぐにできる備えの一つとして「お薬手帳」があります。
「お薬手帳」には、自分の病気や飲んでいる薬やアレルギー歴などを書くことができます。災害時にはかかりつけ医ではない医者に処方箋を出してもらう可能性も大いにあることから、この「お薬手帳」があることによって処方薬を正確に受け取ることができます。