東日本大震災から14年 津波で子ども3人を亡くした木工作家…能登に伝える「独りじゃない」

2025.03.12(水)

10:10

東日本大震災の発生から14年がたちました。14年の歳月が過ぎ、東日本大震災で被災した人が“別の被災者”を支援する動きもあります。津波で3人の子どもを失った宮城県石巻市の木工作家の男性が悲しみを乗り越え、地元や能登半島地震の被災地にエールを送っています。

東日本大震災の発生から14年がたちました。14年の歳月が過ぎ、東日本大震災で被災した人が“別の被災者”を支援する動きもあります。津波で3人の子どもを失った宮城県石巻市の木工作家の男性が悲しみを乗り越え、地元や能登半島地震の被災地にエールを送っています。

宮城県東松島市の木工作家・遠藤伸一さん(56)は東日本大震災の津波被害で花さん(当時13)・侃太君(当時10)・奏さん(当時8)の、3人の子どもを亡くしました。遠藤さんは「子どもたちが生きてくれていた年月よりも、だんだん会えていない年数が増えていく。子ども3人を見つけたら消えてしまいたいと思っていた」と語ります。

子ども3人に囲まれ幸せだった日々は“あの日”絶望の淵にたたきのめされ、生きる意味を見失ったといいます。

転機となったのは、津波で亡くなった石巻の英語指導助手・テイラーさんの家族が石巻の小中学校などに英語の本を贈る取り組みに共感し、地元の小中学校などに本棚を贈る取り組みに参加したことでした。遠藤さんは「子どもたちが本を読む楽しみに目を輝かせたり木の匂いがすると喜んでくれる瞬間はうれしいし、私の子どももきっと喜んでくれているかなと。大きなやりがいも、人の思いも感じられる仕事」と語ります。

命の大切さを伝える「語り部」の取り組みも始め、津波に流された自宅跡地には地元の子どもたちのために手作りの遊具も設置し、笑顔あふれる場所をつくってきました。

去年=2024年には石川県能登町など能登半島地震の被災地を訪れ、子どもたちに駄菓子をプレゼントする活動もしました。遠藤さんは「子どもが地域を明るくすることを私たちは分かっている。子どもたちに元気でいてほしいという思いで、能登半島に行ってきた」といいます。そして「独りじゃない。大変なことがあっても頑張っている人にはいろいろな人が応援してくれるということが子どもたちに伝わればうれしい」と話します。

遠藤さんの作業着の胸元には、子どもたちの名前が入っています。そして遠藤さんは「子どもたちとは夢で会える」として「当時の姿だったり、当時の年齢、あるいはそれよりも小さかった瞬間だったり。夢で、奏が私に背中を向けていたり、抱っこしてテレビ見ているシーンを見ることもある。夢が覚めた後『ああ、ちゃんと顔を見ておけばよかった』『ちゃんと抱きしめておけばよかった』と思うこともある。夢で会える、夢でしか会えないというのは、うれしくも切なくもある」といいます。

遠藤さんは「子どもが生きていればお酒が一緒に飲める年頃。それがかなわない現実の中で子どもの面影を感じさせてもらっている。大きくなった子どもを想像できないのは寂しいが、残って生かされているので何とか歯を食いしばってでも生きていかないといけない。『父ちゃん頑張ったね』と言ってもらえるように精いっぱい生きていこうと思っている。こういう活動をさせていただけているのもたくさんの人の思いの中なので、感謝しながら、子どもたちの思いを秘めながらこれからも生きていこうと思う」と話しています。

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