戦争の記憶を次世代につなぐ 都内に残る「戦争遺構」

2024.08.15(木)

10:00

終戦から79年を迎えます。当時を知る人が高齢となる中、戦争の記憶を次の世代につなぐことが困難になってきています。TOKYO MXでは3日間にわたって「戦争の記憶を次世代につなぐ」をテーマに特集をお伝えします。

終戦から79年を迎えます。当時を知る人が高齢となる中、戦争の記憶を次の世代につなぐことが困難になってきています。TOKYO MXでは3日間にわたって「戦争の記憶を次世代につなぐ」をテーマに特集をお伝えします。

初回は「戦争遺構」です。東京都内にも、防衛省の中に防空壕(ごう)があったり、八王子市に地下壕があったりと、私たちの身近なところにも遺構が存在しています。終戦から79年となる中、遺構をどのように残していくのか取材しました。

1945年5月25日から26日にかけ、都内の広い範囲で大規模な空襲がありました。「山の手空襲」です。この2日間だけで3000人以上が犠牲になりました。山の手空襲の時に多くの人が逃げ込んだ防空壕が、中野区に今も残っています。

600年以上の歴史を誇る成願寺も空襲で境内全体が焼失し、大きな被害を受けました。防空壕は太平洋戦争中に寺の裏庭に作られ、長さはおよそ40メートルに及びます。空襲の時には当時の寺の住職や周辺に住む住民などがここに逃げ込みました。成願寺・若方丈の小林尭成さんは「見学する人の中には『部屋の中だけでなく、廊下にもたくさん(人が)逃げ込めますね』という人がいるが、実際そこは爆風が通るので、部屋にいないと危なかったという話も聞く」と話します。

防空壕は以前、小学校の平和学習でも活用され、多くの人が見学に訪れていました。しかし被災経験を語り継いでいた住職が高齢になったこともあり、近年は見学者の数が減っているといいます。小林さんは「最近(見学者が)1人とか2人ぐらいの月もあるし、減っている。見学者も少なくなっている。かといって『来てください』と言っても、近くの公園のように気軽に来てもらうのも大事だが、戦争の悲惨さを伝える遺構として平和学習で近くの小学校などで(使ってもらうことも考えたい)」と話します。寺は今後、中野区などに施設を戦争を学ぶ場として活用できないか提案することを検討しています。

戦争の悲惨さを伝える遺構は東大和市にもあります。「旧日立航空機変電所」です。旧変電所の周辺には当時、飛行機のエンジンを製造する軍需工場がありました。終戦の年には3度の空襲を受け、工場の従業員など111人が亡くなりました。空襲によって爆撃機から放たれた銃弾の痕が室内の階段や配電盤、施設の壁に生々しく残っています。

東大和市は施設を戦争の恐ろしさを伝える貴重なものだとして、1995年に文化財に指定しています。東大和市教育委員会の岩野秀夫課長は「当時の空襲のすさまじさ、機銃掃射等のすさまじさを、今なお語り続けている建物。戦争の痕跡を残すというのは、都内でも大変貴重なもの」と話します。老朽化していた施設は2020年から2021年にかけて改修工事が行われました。その際、市が活用したのが「ふるさと納税」です。2016年から始まり、工事費用の一部、1300万円余りの寄付が集まりました。岩野課長は「建物の屋上の改修や外壁の補強、耐震補強の大規模な工事を行った。工事に当たって、市民などから『ふるさと納税寄付金』を多くもらい、それらの寄付金を活用させてもらっている」と話しています。旧日立航空機立川工場へのふるさと納税による募金は現在も行われていて、今後改修工事を行う際に活用されるということです。

<保存・維持に多額の費用>

取材した成願寺では改修工事の費用を寺が自費で出したということです。戦争遺構を保存・維持するための費用をどう捻出するか、考えていく必要がありそうです。

 

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