個人としては所蔵数世界一! 西山美術館の館長が熱弁する“ユトリロの魅力”に片桐仁も感動

2022.07.30(土)

11:50

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。4月29日(土)の放送では、「西山美術館」のユトリロ館に伺いました。

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。4月29日(土)の放送では、「西山美術館」のユトリロ館に伺いました。

◆ユトリロ絵画は世界2位の収蔵数を誇る西山美術館

今回の舞台は、東京都・町田市にある西山美術館。ここは実業家・西山由之氏が2006年に開館。芸術に造詣が深い西山氏のコレクションを展示するなか、とりわけモーリス・ユトリロの絵画の収蔵数は、フランスのユトリロ専門美術館に次いで世界第2位、個人としては世界一を誇ります。

そんな西山美術館を案内してくれるのは、ユトリロへの熱い思いは誰にも負けない設立者にして館長の西山さん。ユトリロに対し「そこまで詳しくないですね。この番組でも紹介したことはありますが……」と話す片桐に、西山館長は「これからレクチャーします。ユトリロの専門家になれます」と意気揚々と話します。

モーリス・ユトリロは1883年、パリのモンマルトル地区に生まれ、生涯に渡ってパリの街を詩情豊かに描いた人気画家ですが、果たして西山館長は彼のどんなところに惚れ込んだのか。その魅力を徹底解説していきます。

◆10代にしてアルコール依存…それがきっかけで絵画の世界へ

まずはユトリロが20代のときに描いた「パリのアンドレ=デル=サルト通り」(1908年頃)を鑑賞。パリの普通の商店街を描いた画中からは暗くて切ない、重たい雰囲気が。西山館長によると、その理由はユトリロの体調にあり、なんと彼は14歳でアルコール依存症を患い、片桐は「そんな若いときから!」と思わずビックリ。

当時、フランスでは3歳になると、食事の際にワインを与えてもいいという風習があり、ユトリロは10代にしてアルコール依存症に。そして、その治療として医師から勧められたのが絵を描くことでした。

すると彼が描いた絵は高い評価を受け、本格的に創作活動を開始。本作はうつ状態の最中に描いた作品と言われており、片桐は「見どころの多い絵ですよね」、「色のトーンが統一されていて、ただ暗い絵ではない感じがしますね」と見入るばかり。

続いては、一転して「絵がすごく明るいですよね」と片桐が評した「ルツェルン大聖堂」(1929年頃)。本作はユトリロ46歳にして初めて外国、スイスに訪れたときに描いたもので、西山館長曰く、初の異国でルンルン気分だったそう。また、ユトリロは元来、遊び心のある人で、本作にもその一端が。それは何かといえば“影”。建物と人の影が逆に描かれ、彼の遊び心が現れています。

ユトリロというと風景画のイメージがありますが、時折、画中に人物が登場します。そして、その際には4つの独自ルールが設けられており、それは「後ろ姿であること」、「帽子を被せること」、「婦人がスカートを履いていること」、「人数が奇数であること」。

ユトリロの作品は、うつ状態が続いた初期の「モンマニーの時代」(1904~1908年)、「白の時代」(1910~1914年)、さらには「色彩の時代」(1922~1955年)と大きく3つの時代に分類されますが、各時代でその作風は激変。西山館長も「明暗がこんなにはっきりと、描き方もここまで異なる作家も珍しい」とユトリロの特徴を語ります。

◆白にこだわり、魂の込め命懸けで描いた“白の時代”

3つの時代のなかで最も高く評価されたのが「白の時代」です。その作品のひとつ「モンマルトルのサン=ヴァンサン通り」(1915年頃)の特徴は、白壁の一部に見られる黄色の染み。これはゆで卵の黄身を白色絵具に混ぜて描いたとか。

「綺麗に黄色が発色していますね。パッと見、そういう素材を使って描いているとは思えない」と驚く片桐でしたが、それがユトリロのすごいところ。さまざまな白を細やかに表現するため、試行錯誤を繰り返していた彼が行き着いたのが黄身だったのですが、当時は第一次世界大戦の最中。食糧事情も大変なときに、たまたま手に入ったゆで卵を半分食べ、残り半分を作品に添加させるその所業に西山館長も「魂の込め方が違う」と脱帽。

なお、ユトリロは黄身の他にも、建物の漆喰や鳥の糞、貝殻などさまざまなものを白色の絵の具に混ぜ、自身の表現を追求。本作でも屋根の茶色には、クルミの木の皮を絞って作り出した絵の具が使われており、白の時代はとにかく表現にこだわっていたそうです。

一見、廃墟のようですがフランスを代表する作曲家・ベルリオーズの家を描いた「ベルリオーズの家」(1914年頃)は、中央にある白い箱が特徴的。多くの評論家がこの箱の重要性を評していますが、片桐からは「白が際立っていますね」と呟きつつも「白の時代のなかではそこまで白くない」との声が。この意見に西山館長は白の多さではなく、白色絵の具に色を混ぜて描くのが白の時代の特徴と解説。

当時、ユトリロはこの題材を好み、15の作品を残しています。そのなかのひとつが壺に描かれた「ベルリオーズの家(壺絵)」(1915年頃)。

片桐は「ユトリロからツボというイメージは全くない。というか、ツボに絵を描くこと自体がすごく珍しいですよね」と驚嘆していましたが、彼は生涯で3つの壺絵を制作し、これは現存するもので唯一、一般公開されている代物。そんな貴重な作品を前に「ぐるっと360度、絵が繋がっていて面白いですよね。シンプルな建物の絵ですけど、遠近法とかも難しくなってきますよね……」と思いを巡らせます。

そして、「僕のユトリロのイメージはこんな感じ、この白っぽい感じ」と話していたのは「ラパン・アジル」(1914年頃)。

これは、今なおモンマルトルにある酒場で、かつては若き日のピカソやマティスなど名立たる画家たちの溜まり場でした。

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ユトリロはこの場所をとても気に入り、多くの作品を残しており、西山美術館にも3つの「ラパン・アジル」が。

ただ、同じモチーフながらその絵は全て異なり、片桐は「同じものを描いているんですよね!?」と驚愕していましたが、それこそがユトリロが“非写実的画家”と言われる由縁。西山館長が「ユトリロが頭の中で考えているものを、魂の命じるままに描いたもの」と話すその言葉通り、写実的に描くのではなく心の赴くままに筆を走らせる彼の心模様がこの3作品に表れています。

さらに白の時代の作品は続き、「雪のムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1915年)では、後方に彼が愛した風景のひとつ、ムーラン・ド・ラ・ギャレット=小麦を作る風車小屋が描かれており、画中からは−30℃の寒さが存分に伝わってきます。そうして作家と同じ気持ちになることで「名画がより自分の中に入ってくるように感じる」と西山館長。

片桐も納得しつつ「この緑の空の色とか、すごく寒いのかな」と感想を語ると、西山館長からは「今、鋭いことを指摘しました。(本作は)空に一番の特徴がある」とお褒めの言葉が。極寒のパリの空に漂う雪をはらんだ雲には、緑やピンクなどさまざまな色が使われ、冷気を帯びた空が見事に表現されています。

ここで片桐から「なぜユトリロを収集するようになったのか?」との質問が。これに西山館長は「ユトリロは貧乏ななかで、こうすれば名が売れる、作品が高く売れるといった打算がなく、ただ芸術にだけ没頭した、気持ちがまっすぐな人でした。どんなに貧しくても崩れることなく、その生き方が好き。生き様が好き」とユトリロへの思いを吐露。

◆病に倒れながらも描き続け、大成功を収めた色彩の時代

白の時代に続くは「色彩の時代」。その期間は40歳の頃から71歳で亡くなるまでと最も長く、赤と緑の色を強く押し出す描き方が特徴です。「アンスの病院」(1923年)は、まさにそれが印象的で、片桐は「白の時代を見た後だと全然違う!」と目を見張ります。

当時は第一次世界大戦直後で国も貧困に喘ぐなか、ユトリロは栄養失調で行き倒れ、担ぎ込まれたのがこのアンスの病院でした。通常、行き倒れ程度であれば10日程度で退院できるものの、彼はなんと2年もの間入院。その理由は、毎晩病院を抜け出しては酒を飲み、朝方に帰ってくるという自堕落な生活を送っていたから。

それを聞いた片桐は「(アルコール依存症が)治らないんですね」と案じつつ「でも、この画面はすごく明るい。体の調子が悪かったとは思えないぐらい。絵を描いているときはすごく冷静な感じがしますよね」と印象を語り、「絵を描くことだけはずっと真摯に取り組んでいたというかね」と当時のユトリロに思いを馳せます。

彼は入退院を繰り返しながらアルコール依存症と闘うなか、40歳の頃に開いた個展で大成功を収め、人気を不動のものに。

「これはザ・ユトリロ」と片桐が話していたのは「モンマルトル」(1928年)。そこには世界中から芸術を志す若者が集まるモンマルトルのサクレ・クール寺院が描かれています。

当時の芸術家たちは、この大きな塔の正面にある石段に腰掛け、パリの街をずっと眺めているだけでも勉強になったとか。苦難の人生を歩むなかでも、絶えず絵画に真摯に向き合ってきたユトリロ。彼は今、このモンマルトルの地で安らかに眠っています。

ユトリロの激動の人生を作品とともに追体験した片桐は「ユトリロだけをここまで見たのは初めてだったので面白かったです」と率直な印象を語ります。そして、「館長自らが解説してくれたというのは贅沢な時間でした。ユトリロに対するイメージがだいぶ変わりました」と大満足の様子。

さらには「苦労して、つらいときも、食べるのが大変なときにも、絵の具のためにゆで卵を使ったとか、それはなかなか聞けない話ですからね。(西山館長の)思いがたっぷりで、とても面白かったです」と西山館長に感謝を述べ、「貧困やアルコール依存症といった病のなかでも真摯に絵画と向き合ったユトリロ。そして、その生涯を熱く語ってくれた西山館長、素晴らしい!」と称賛。パリを愛し、描くことに人生を賭けた芸術家に拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、「雪のベッシーヌ・ス・ガルタンプの教会」

西山美術館・ユトリロ館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものの中から西山館長がぜひ見てほしい作品を紹介する「今日のアンコール」。今回選ばれたのは「雪のベッシーヌ・ス・ガルタンプの教会」(1934年)です。

ユトリロが人物を描く際、前出の通り4つのルールがあり、そのひとつは「人数が奇数であること」ですが、本作で描かれている人数は6人。片桐も「本当だ!」と驚いていましたが、これはルールを破って描かれた非常に珍しい作品です。

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また、画中にはフランス語が書かれており、翻訳すると「僕はママのことが大好きだよ。大好きなマミーにこれを贈る。クリスマスプレゼント」となり、最後には自身の名前とともにアルファベットの“V”が。西山館長曰く、これは母・ヴァラドンの“V”で、母親と気持ちはひとつ、それほど母親のことを愛していたという意味だとか。

母・ヴァラドンは18歳でユトリロを出産しましたが、彼女は著名な画家のモデルであり、恋多き女性だったそうで、ユトリロはそんな母の愛を渇望。本作は幼い頃のユトリロが見た原風景を、ヴァラドンを思いながら描いたそうです。

最後はミュージアムショップへ。たくさんのユトリログッズが並ぶなか、片桐が「ちょっと面白い本がありますよ!」と発見したのは、西山館長の著書「今やれ すぐやれ 早くやれ!!」。

そして、その隣にはユトリロのポストカードがあり「やっぱりユトリロは絵はがき映えがしますよね」とほっこり。さらには西山館長の熱い言葉を思い出しながら、ユトリロの図録を眺める片桐でした。

※開館状況は、西山美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週金曜 21:25~21:54、毎週日曜 12:00~12:25<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

 

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