日本美術界屈指のパトロンが築いた日本庭園と「三溪記念館」に片桐仁が拍手

2021.08.22(日)

11:50

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。6月26日(土)の放送では、「三溪記念館」で実業家であり日本美術界の大パトロンでもある原三渓に想いを巡らせました。

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。6月26日(土)の放送では、「三溪記念館」で実業家であり日本美術界の大パトロンでもある原三渓に想いを巡らせました。

◆横山大観や下村観山を育てた日本のパトロン

今回の舞台は神奈川県・横浜市 本牧にある広大な日本庭園・三溪園とそのなかに建つ三溪記念館。ここは、名だたる画家を育てたパトロン・原三渓ゆかりの地です。

原三渓(本名・原富太郎)は、1868(慶應4)年生まれ岐阜県出身。教師をしていましたが、結婚を機に妻の稼業だった生糸の事業に携わり、その貿易で巨万の富を築きます。そして本牧に巨大な邸宅を構え、多くの若い画家を経済的に支援。片桐は「ものすごいお金持ち、果たしてどんな方なのか……」と興味津々です。

今回、館内を案内してくれるのは三溪園の事業課長・吉川利一さん。まずは庭園に足を踏み入れると早くも池や塔が見受けられ、圧倒される片桐。ここはもともと三渓の住まいで、その広さは約17万5,000㎡(東京ドーム約4個分)。明治から大正、約20年かけて完成したそう。

園内には京都や鎌倉などから移築された古い建物が多く、重要文化財でもある三重塔(旧燈明寺三重塔)も。それを見て片桐は改めて「原三渓はハンパないお金持ちということですね……」とあんぐり。

三渓記念館に入ると三渓の肖像があり、「実業家というよりは学校の校長先生のような。学者肌な感じがしますよね」と片桐。そんな三渓が支援した画家のなかには横山大観や下村観山など後の大家が数多くいますが、支援を始めたきっかけは美術界の指導者として有名な岡倉天心でした。原家は元来、岡倉と深い交流があり、彼を介して観山の支援を依頼され、その後さまざまな芸術家への支援を開始。三渓記念館ではそんな三渓と支援した芸術家たちとの人間関係を垣間見ることができます。

支援していた芸術家のなかでも、三渓が最も才能を買っていたのが観山で、館内には彼の「白藤」が。この作品は古典的な感じに映りますが、当時にしてみれば最新の現代美術。観山は日本画の輪郭を描く伝統的な「線描表現」に西洋画を研究して学んだ繊細な「色彩表現」を加えた穏やかで気品のある作風を作り上げ、それは非常に斬新的な画法でした。

三渓はそんな観山の才能とともに温厚な人柄も気に入っていたそうで、三渓園の近くに土地と建物を提供。観山はそこで亡くなるまで住んでいました。それを聞いた片桐は「相当気に入っていますね。やはり作品に加え、人との関わり。その塩梅ですよね」と2人の関係性に思いを馳せます。

ちなみに、三渓が芸術家たちにどれぐらい援助していたかというと、教職員の給料が約20円だったところ100円、今にすると100万円以上援助していたそうです。

◆三渓が支援した若き芸術家の作品の数々を展示

三渓が支援した芸術家の中には画家以外の才能を開花させた人物もおり、その1人が牛田雞村。彼は日本画から舞台芸術の世界へと移行し、新橋演舞場などで活躍しました。三溪記念館にはそんな牛田の「空木」が展示されており、ひと目見た片桐は「この屏風はきらびやかですごい」と息を吞みます。

そして片桐は、「1枚1枚の葉も素晴らしいし、なんと言ってもこのアオスジアゲハが好きなんですよ」と称賛し、「アーティストはどこか自信がないものですから、『絵のことだけ考えていい』って言ってくれる人がいるというのは、何ものにも変えがたいものがあると思う」と牛田の心情を慮ります。ちなみに、牛田は三渓の長男と小学校時代からの幼なじみという縁も。

また、館内には絵画ではなく絵手紙、「荒井寛方書簡」(1911年)も。それは、支援していた荒井寛方が三渓に宛てて京都から送った手紙で、本願寺で見た親鸞上人の法要の模様を画で伝えています。

非常に臨場感が伝わるもので「絵手紙にしては人物が細かく描いていますね。マンガ的で愉快。当時のことを知る意味でもとても価値がある」と片桐は感心しきり。旅先から手の込んだ手紙を送るあたりも三渓への敬意、信頼関係が伺える作品です。

◆パトロンとしてだけでなく自らも作品を制作

次に「今までの作品からすると、だいぶ肩の力が抜けた感じというか、シンプルで良い画ですね」と片桐が語っていたのは、三渓自身が描いた「鮎市」(1932年)。それを知ると「三渓も描くんですね!」と驚いていましたが、彼は正式に絵の勉強を受けていなかったものの、祖父と叔父が画家だったこともあり、幼少期から画の手ほどきを受けていたとか。

この作品には三渓の故郷・岐阜県で獲れたばかりの鮎を売っている情景が描かれていますが、片桐は「この絵だけを見ると昔の画という感じですが、そうじゃないんでしょうね。実際にこういう風景を見ているんでしょうね」とその印象を語ります。三渓自身は多忙ななかでもいろいろと旅をしながらスケッチをしていたそうで、「自分との対話というか、リラックスできる時間だったんじゃないですかね」と三渓の気持ちを斟酌します。

◆彼らがいたから昔の作品が楽しめる、偉大なるパトロンに拍手!

続いて三渓が実際に暮らしていたプライベートな庭へと赴くと、「橋があって、椅子があって素敵ですね」と片桐は絶賛。そして、その近くには江戸時代、徳川家光が将軍になるにあたって京都・二条城の中に建てたという聴秋閣(重要文化財)があり、「これまた独特の味のある建物ですね」と唸ります。これは家光の乳母・春日局の実家に長く保存されていたものを三渓が移築。それによりこの三渓園は完成となったそうです。

さらに、その建物の裏には三渓がこだわり抜いたポイントがあり、そこに広がっていたのは三重塔をはじめとする三溪園の絶景。その一服の絵のような光景こそが三渓が作りたかったものだそう。まさに三渓の集大成とも言えるその景色に「いつも画面のなかの世界を見ることが多いんですが、今回はパノラマで、これがまた秋になったら相当キレイですよね。1年中景色が変わるんでしょうね」と片桐は感慨深そうに眺めていました。

大パトロンにして芸術家である三渓の半生を体感した片桐は「もともと学校の先生で歴史に詳しく、コレクターで実業家、なおかつアーティストで視野が広いというか、そういう方が各時代にいたおかげで、我々は今現在、昔の画を見ることができるんだなって実感しますよね」と語り、「芸術家を育てる素晴らしい目を持った原三渓、素晴らしい!」と盛大な拍手を贈っていました。

◆「片桐仁のもう1枚」は、三渓園のシンボル「旧燈明寺三重塔」

片桐がもう一度どうしても詳しく紹介したい作品をチョイスする「片桐仁のもう1枚」。今回、片桐が選んだのは作品ではなく三渓園にそびえ立つ「旧燈明寺三重塔」。

「やっぱり、この三渓園のランドマークですから」とその理由を述べ、「山上にどこからでも見えるように配置され、入ってきた瞬間に見えるし、あれがこの三渓園、ひいては彼自身の象徴として……貿易や芸術家のパトロン、いろいろ手広くアンテナを張っていたということなんじゃないかって……こじつけました(笑)」と笑みを浮かべます。

最後は大好きなミュージアムショップへ。三渓園のロゴや三重塔のシルエットが描かれたTシャツ、手拭いを半分に折って本の形になっている手拭い本。さらには、古布、そしてお菓子とさまざまなグッズの数々に目を輝かせる片桐でした。

※開館状況は、三溪園の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

 

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