西郷隆盛、勝海舟と同時代を生きた徳川将軍がねむる寺とは?

2019.11.03(日)

11:50

東京の魅力を再発見するTOKYO MX(地上波9ch)の情報生番組「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」(毎週土曜11:00~)。9月14日(土)放送の「もっと進め!江戸小町」のコーナーでは、1862(文久2)年のこの日に“生麦事件”が起きたということで、港区三田・芝界隈にある薩摩藩ゆかりの地を巡りました。

東京の魅力を再発見するTOKYO MX(地上波9ch)の情報生番組「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」(毎週土曜11:00~)。9月14日(土)放送の「もっと進め!江戸小町」のコーナーでは、1862(文久2)年のこの日に“生麦事件”が起きたということで、港区三田・芝界隈にある薩摩藩ゆかりの地を巡りました。

◆生麦事件とは?

生麦事件とは、1862(文久2)年に神奈川県の生麦村で起きた幕末の薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件。この事件をきっかけに、薩英戦争へと発展しました。

まず訪れたのは、かつて約2万2千坪の薩摩上屋敷があったとされる「薩摩屋敷跡」。
ここ港区芝4丁目にあたる場所で、現在はオフィスビルやホテルなどが建っていますが、当時、海から近く江戸に入る玄関口として有用だったこの地の屋敷には、西郷隆盛や天璋院篤姫など薩摩藩の藩主や奥方などが住んでいました。

◆西郷隆盛と勝海舟が会談した地

次に訪れたのは、西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城の調停の前に訪れ、会談した地と言われている「愛宕神社」。

ここは、1603(慶長8)年に徳川家康の命により、“防火の神様”として祀られた神社で、“出世の石段”などでも知られています。

愛宕神社 権禰宜(ごんねぎ)の松岡里枝さんは、「愛宕山は、東京23区のなかで一番高い自然の山(標高約26m)と言われています。ここから、西郷隆盛と勝海舟が江戸の街を見渡して“ここを戦火で焼失させるのは忍びない”ということで、三田の薩摩屋敷まで歩いて(江戸城無血開城の)調印に至ったと聞いております」と語ってくれました。

◆西郷隆盛が寝泊まりしたことも……

次に訪れたのは、かつて薩摩屋敷の筆頭出入り商人だったという1812(文化9)年創業の造り酒屋「東京港醸造(旧若松屋)」へ。

店内には、“南洲”というペンネームで西郷隆盛が書いたとされる書「人皆炎熱に苦しむ。我、夏の日の長きを愛す」(訳:夏は暑いからみんな嫌がるが、日が長く働けるので私は好きだ)のレプリカが飾られています。彼がこの書を残したのは、酒代替わりだったと言われているそうです。さらに、お酒を飲むだけでなく、醸造所の裏屋敷に寝泊まりすることもあったとか。そこに勝海舟も現れたというから驚きです。

7代目の齊藤俊一さんは「当時、ちょうど店の真裏あたりに、東京湾から薩摩屋敷の入口までの堀があって、その手前にうちの酒蔵があったんです。勝海舟は江戸城から船で東京湾に出て、この入江に入ってきて、うちの裏木戸から西郷隆盛に会いにきたと言われています」と話してくれました。

そんな東京港醸造では、いまなお江戸初期の醸造方法にこだわり、日本酒の醸造・販売をおこなっています。

◆徳川将軍6人が眠る徳川家霊廟

最後に訪れたのは、西郷隆盛と同時代を生きた徳川14代将軍家茂のお墓がある「増上寺」です。
家康が徳川家の菩提寺に選定した増上寺には徳川家霊廟があり、家茂をはじめ、2代将軍秀忠、6代将軍家宣、7代将軍家継、9代将軍家重、12代将軍家慶といった6人の徳川将軍が眠っています。

1858(安政5)年、13歳の若さで徳川14代将軍に就任した家茂は、まさに西郷隆盛が活躍していた時代に将軍をつとめた人物。就任から5年が経った1863(文久3)年に、家茂は朝廷から攘夷の要請を受け上洛します。そのときに家茂を警護するため結成された「浪士組」が、のちに「新選組」となり、近藤勇や土方歳三らがその後の歴史を動かしていきました。
 

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<番組概要>
番組名:週末ハッピーライフ!お江戸に恋して
放送日時:毎週土曜 11:00~11:55 「エムキャス」でも同時配信
レギュラー:朝比奈彩、松尾雄治、堀口茉純、田中雅美
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/edokoi/
番組Twitter:@edokoi9ch

 

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