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福島・浜通りの3自治体 今求める支援は?/What kind of support do 3 municipalities in Hamadori, Fukushima require now?

その他 - 2024年3月11日 20時15分
私はおととい(9日)から福島県に入り福島県の東側、浜通りの3つの自治体を取材しました。どれも地震、そして津波と東京電力・福島第一原発事故の影響を受けた自治体なんですが13年の復興のスピードはそれぞれ異なっていて求める支援の形が違う事が印象敵でした。地震発生から13年のきょう(11日)復興の現在地はどこなのか各自治体の首長を取材しました。
「双葉町から大熊町に入って数分のところで第1原発が見えます、生活のすぐ近くにあります。13年が経つ今も廃棄物が罪上がっています。」
震災から13年。福島第一原発の周辺自治体では、未だに立ち入りが原則禁止されている「帰還困難区域」が残されています。きょう(11日)、原発周辺自治体である南相馬市・大熊町・富岡町のトップに「復興の現在地」について聞きました。
大熊町吉田淳町長:「復興したというかまさに途上、途上もスタートしたばかりそんな状況だと思う」
事故の影響で、1万1505人の全町民が町外へ避難した、福島県大熊町。町の50%が帰還困難区域で、戻ってきた町民は、去年7月時点で約5%の557人に留まっています。2年前に3度目の解除を受け、大熊町では現在、商業施設などの整備に取り組んでいます。
大熊町吉田町長:「許可を求めて了解をしてもらってそれで自分の土地・家に入れるようなところ、「帰還困難区域」それが町の中の面積の50%が残る状況ですのでまだ復興完成とかそういうところまで全然行っていない」
そして、桜の名所として知られる夜の森地区がある富岡町。
「夜の森の桜並木周辺では、避難指示解除を受け、被災した建物の解体作業が進められています」
2017年から段階的に避難指示が解除され、今月1日時点で、2344人の町民が暮らしていますが、震災前と比べると約15%に留まっている状況です。現状について、富岡町の山本町長は…。
富岡町山本町長:「目標の5000人にはまだ足りていない これからの問題 インフラについては上下水道 電気 買い物できる施設は整ってきているが これもまだ足りない状況 /これからそれらを充実させていって 帰還する人 移住する人をそれらも含めて増やしていければ」
「震災前に戻るのが一番の 最初の復旧 それから復興が始まる将来見据えればこの町が自立していけるようなそういった街づくり人が戻ってきて活気ある街づくり これが復興 今の状態では町は自立していけない みなさんの支援をもらって 国から予算をもらってという形になる 自分たちで運営できるようになるのが本当の復興」
最後に南相馬市です。現在も一部で帰還困難区域を抱え、住民の数は、震災前と比べ、2万人ほど減少しています。南相馬市の門馬市長は、復興について第3ステージに入った状態だといいます。
南相馬市門馬市長:「復興したとは思えていない、第3ステージに入った」「壊れたものを直す、都市機能を戻す1期2期終えて、これまでにない夢のあるようなものが市内に出てきて」「市民が希望を持てる時に復興が実感できるのかなと思ったり」
復興の足がかりとして期待されているのが、福島ロボットテストフィールドです。
「津波の被害があった場所の跡地にできたのが、ロボットテストフィールドです。この施設ではインフラや自然災害を想定してロボットの実験を行えます」
門馬市長:「未来に向かって新しいことに取り組んでいくシンボルのような新しい事を行う人を応援するロボットだけでなく社会課題の解決の挑戦の場所になれば」「そうしたことで若い人や子どもが増えることを期待している。」
福島第一原発からの距離や津波被害の大きさによって避難した先から戻った人の数が異なっていたりまだ入れない地域がある場所や立ち入れても人が戻らず更地になっている場所、これから新たな産業を生み出そうとする場所など様々でした。ただ3つの自治体を取材して共通して感じたことは13年の月日が経って少しずつインフラの復旧が進みこれから復興、町を盛り上げていく段階にやっと立ったということです。大熊町の町長は「これからの復興にはもっと長い年月がかかると話し、被災地のまだ影が残る部分と復興が進み新たな暮らしが戻っている日があたる部分両方をまずは見に来てほしい」と話していました。ここから始まる復興支援、東京から何ができるか考える必要があると感じました。

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