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原発事故から14年…全村避難から復活へ 福島・川内村の新シンボル「ワイン」で雇用創出へ

地域・まち - 2025年3月5日 19時00分
東日本大震災の発生から間もなく14年を迎えます。大震災では「世界最悪の原発事故」ともいわれる福島第1原子力発電所の大事故も引き起こしましたが、周辺の自治体では復興への取り組みが行われています。福島県川内村はかつては木炭で全国1位ともなった緑豊かな村でしたが、原発事故から5日後の2011年3月16日、全村民およそ3000人が県内の郡山市に避難しました。国の方針で、福島第1原発から20キロ圏内の村東部は一時立ち入り禁止にもなりました。こうした中、2004年から川内村の村長を務める遠藤雄幸村長は福島県内の9町村の中でいち早く、2012年1月31日に「帰村宣言」を行いました。遠藤村長は「戻れる人から戻ろう。心配な人はもう少し見てから戻ればいい」と呼びかけ、避難指示解除後は積極的なインフラ整備などもあり、人口は震災発生直後の3028人から、2025年2月には2224人まで戻りました。しかし30歳までの若い世代は20%という悩みもあります。そんな川内村が雇用を創出し若い世代を増やそうと、積極的に取り組んでいる事業があります。

川内村が雇用創出のために2015年から積極的に取り組んでいるのが「かわうちワイン」の製造・販売です。わらばかりの荒れ地を地元の村民や多くのボランティアが1年ほどかけて整備し、その後、苗木の植え付けを行い、翌2016年から本格的なブドウの栽培が始まりました。その後、農園を拡大し、2021年にワイナリーが完成、さらに震災から11年後の2022年にはワインの販売もスタートしました。

計画当初から「かわうちワイン」の事業に携わる川内村役場の職員・遠藤一美さんは最初は知識不足だったとして「お金はかかる。畑作業は素人ばかり。ブドウの品種の選定もできない。消毒もできない。ブドウが採れないなど、振り返ると苦労ばかりで眠れない夜も続いた」と振り返ります。

かわうちワインは現在15銘柄販売していて、今後、製造本数を増やし、かわうちワインを通して継続的な雇用を生み出し復興のシンボルにしていきたいとしています。遠藤さんは「かわうちワインのPRを含めてもっとみんなに知ってもらうことで、売れるようになるし収入も増える。そうすると雇用の環境もできてくるので、かわうちワイナリーで働きたいと思う人がどんどん出てきてくれれば」と話しています。

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