東日本大震災直後に生まれた少年“15歳の春” 母への思い…夢は料理人「宮古のうまいを伝えたい」

(地域・まち - 2026年03月11日 20時30分)

東北地方を中心に甚大な被害となった東日本大震災の発生から15年の月日が流れました。震災のあったあの日に岩手県内で妊婦だった母親と、震災7日後に生まれた中学3年生の息子に、震災から15年がたったいま“あの日”をどのように捉えているのか話を聞きました。 岩手県宮古市の中学校に通う倉本孝高さん(14)は、先週、第1志望の高校の受験を終えたばかりです。趣味は大好きなミュージシャンの音楽を聴くことで「Mrs. GREEN APPLEが大好き。メロディーも全部好き」と笑顔を見せます。 孝高さんが生まれたのは2011年3月18日。当時、孝高さんをおなかに抱えた母・里美さんは出産のため、東京から宮古市の実家に里帰り中で、あの日はおよそ20キロ離れた山田町に家族と買い物に来ていました。そして帝王切開による出産を1週間後に控えた中、大災害と直面することになります。母親の里美さん(44)は「急に立っていられないぐらいに地面が揺れて、車にも乗れないような状態だった」と振り返ります。国道ががれきで埋め尽くされたため里美さんは家には帰れず、やむなく山沿いの道を抜けて親戚の家に避難しました。しかし「(妊婦用の薬は)朝と夜なので一切持っていなかった。妊婦健診で言われた『張りが強くなって陣痛が来たら大変だよ』ということを思い出したらドキドキしてきて。それが赤ちゃんに伝わったのかまた張りが強くなってきて」(里美さん)という状態で、16日まで親戚の家で過ごした後、通院していた病院に行きましたが、断水のため帝王切開手術を受けられず救急車で3時間かけて独り盛岡の病院へと向かいました。 「産めるのかなというのが心配だった」という状況でしたが3月18日、無事に孝高さんが誕生します。しかし母の里美さんはわが子の誕生を素直に喜ぶことができなかったといいます。里美さんは「うれしい思いも確かにあったが、自分だけが恵まれた中で出産できていいのかなというのが一番あった。(他の)妊婦さんで津波の犠牲になった人もいるし」と当時の思いを振り返りました。 未曽有の災害の中、それでも産声を上げた小さな命──。複雑な心境を抱える母親に、ある看護師が声をかけました。 「この子は希望の光になるよ」 里美さんは「頑張ったね。この子は希望の光になるよと。初めてよかったな、いいんだなと感じることができた」といいます。 わんぱくな孝高さんは家族の愛を受けながら優しく素直に育ちました。小さい頃は体が弱く里美さんも心配しましたが、去年=2025年には柔道の地区大会で優勝するまでに強く大きくなりました。 孝高さんは「小学生の時に知ったが、その時は物資や食べ物もない状態で、大変な時に僕を産んでくれて感謝しかない。お母さんがもし僕のことを守ってくれなかったら僕も生きていなかったと思うのでお母さんには感謝している」と語ります。里美さんは「今も持っている優しさを大事にしながら大きくなってほしい。人を思いやれる気持ちを大事にしていってほしい」と、目を細めます。孝高さんは「高校生になったらレスリング部に入って県大会で1位を目指して頑張りたい。(料理人の)お父さんの影響もあるが、料理人が夢。『宮古の食材はうまい』というのを一番に伝えたいし、たくさんの料理をいろいろな人に振る舞いたい」と夢を語りました。

https://s.mxtv.jp/mxnews/amp/mxnews_46513120.html

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