【震災15年-記憶を備えに-】若き語り部“記憶を補完” 紡ぐ震災の教訓

(地域・まち - 2026年03月06日 21時00分)

東日本大震災の発生から今年で15年となります。TOKYO MXは震災と向き合い、記憶や教訓を未来へつなぐ特集『震災15年-記憶を備えに-』を4回にわたってお伝えします。今回のテーマは「若者が伝える震災」です。宮城県が2024年に実施した意識調査によると「東日本大震災について風化を実感している」と答えた人は7割を超えています。こうした現状からも大切になってくるのが“伝承”です。現在は東京都内に暮らす大学生・岩槻佳桜さん(20)は、長期の休みの時には東京から地元の宮城県気仙沼市に戻り、語り部の活動をしています。5歳で被災した岩槻さんが訴え続けるのは「命を守る大切さ」です。 東京・西東京市に住む大学2年生・岩槻佳桜さんは宮城県気仙沼市出身で、5歳の時に経験した震災について当時の状況や教訓などを口頭で伝えていく「語り部」です。取材したこの日も、岩槻さんは気仙沼市の震災遺構で「私たちの足元は地上から8メートルの高さ。それを超える波が来たということ」と説明し、語り部の活動をしていました。 2月に千代田区で開かれたシンポジウムでパネリストとして登壇した岩槻さんは「津波に追われながら逃げた経験があります。こういう経験がないとなかなか防災や自分の命について考えることはしないのでは」と訴え、震災を一人一人が“自分事”と捉えることの重要性です。イベントに参加した岩槻さんは「震災当時5歳の私たちは、震災の記憶が残る最後の世代といわれている。私が持っている記憶が貴重だと思っているからこそ忘れたくないし、皆さんに伝えたい」と話しました。 岩槻さんの地元・気仙沼市は震災で甚大な被害を受けました。最大震度6弱、津波と大規模火災などで1000人以上が亡くなり、現在も200人以上の行方が分かっていません。海岸からおよそ600メートル離れた場所にある気仙沼市役所前には今も、大人の身長ほどの津波が押し寄せたという表示が掲げられています。震災から15年がたち、被災の痕跡は過ぎた年月とともに姿を消し、街は平穏の時を刻んでいます。しかし岩槻さんは「海を見るたび、この海が多くの人の命を奪ったんだなと考えてしまうことはあります」と語ります。 15年前、岩槻さんは幼稚園から担任の先生たちと高台に避難して無事でしたが、幼稚園はその後、津波にのまれてしまいました。岩槻さんは「今考えるとあれは津波で、自分が逃げてきた道が津波で覆われた。あそこで先生たちに命を助けてもらったなって思う」と語り、迫ってくる津波の記憶などは残っているものの、震災から月日が経過し、岩槻さんの震災時の記憶は断片的になってきているといいます。 「忘れたくないし、伝えていきたい」。語り部としてこれからも多くの人に詳細な情報を伝承していくため、岩槻さんが取り組んだのが「記憶の補完」です。岩槻さんは避難した経路をたどりながら幼稚園の担任の先生に話を聞くなどして、残された記憶の掘り起こしを進めています。この日は当時の担任だった水野真由美さん(55)と再会し、水野さんが「『大丈夫、大丈夫だよ。大丈夫だからついておいで』と言って、ここを上ったのは覚えている」と話すと、岩槻さんは「確かに先生の声だった気がする。この声を聞いた気がすると今、思い出した」と返しました。 断片的だった記憶を紡ぎ、岩槻さんはこれらかも震災の記憶を語り続けていきます。 翌日、語り部をする岩槻さんの姿がありました。岩槻さんは「きのう担任の先生に話を聞いた時、子どもたちを不安にさせてはいけないと思って『大丈夫、大丈夫だからね』と言いながら、自分にも言い聞かせながら逃げたと言っていた。地震が来たら、海から離れた場所、そして高い場所に逃げてほしい」と、前日に紡いだ記憶を織り交ぜ、語り部の活動を“補完”していました。岩槻さんの語り部を聞いた同世代の学生からは「同世代の子が震災の時に覚えていてくれた風景を、私もきょう、同じように見られたのかなと思う」「次の世代につなげていくことが重要だと思っている。実際の現場を見たという話や、今回撮った写真などで恐ろしさを伝えていけたら」などと感想を語りました。 岩槻さんは将来、語り部としてだけではなく、子どもへの防災教育などにも携わっていきたいということです。岩槻さんは「幼稚園の先生にあの時助けてもらった命があるからこそできることなので、この命がある限り、伝承し続けたい」と話しています。

https://s.mxtv.jp/mxnews/amp/mxnews_46513120.html

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