俳優・片桐仁、近代日本画界の巨匠・横山大観の人生劇場に万感

2021.05.01(土)

11:50

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉えて、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。4月10日(土)の放送では、東京都・台東区にある「横山大観記念館」に伺いました。

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉えて、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。4月10日(土)の放送では、東京都・台東区にある「横山大観記念館」に伺いました。

◆日本画の巨匠が遺した、大都会に佇むお屋敷へ

片桐が「That’s日本画の巨匠」と称する横山大観。彼が半生を過ごした住居がこの横山大観記念館です。東京大空襲で一度は焼失したものの、大観が86歳のときに自ら再建。以降、亡くなるまで暮らしていましたが、そんな記念館を前に片桐は「立派な建物。お屋敷という感じですね。すごいなこの大都会に……」と驚きを隠せません。

横山大観記念館の学芸員・佐藤志乃さん案内のもと、まずは大観が仕事場にしていたという2階へ。画室と言われるその仕事場は、作品の色や濃淡を見るため、大きな窓から自然光が十分取り入れられるよう工夫されています。

そして、床の間には掛け軸「達磨」(1923年頃)が。佐藤さんによると、達磨は伝統的な画題ですが、大観はあえて黄色を使うなど新しい色彩感覚で伝統的な画題をモダンかつポップに刷新。また、衣服を描いている細い線も大きな特徴です。

大観の作風について、片桐が「作品によってだいぶ印象が変わる、いろいろなパターンを実験していたんだなと思う」と述べると、佐藤さんも「(大観の作品は)本当に多彩で、生涯変化し続けていた」と頷きます。常識に捉われず、常に新しいものに挑戦し、時代時代で作風を変化させていた大観。その柔軟な発想は、若き日に経験した多くの人との出会い、さらには大きな屈辱によって生み出されたとも言えます。

◆大観が心酔した岡倉天心からの言葉「風の音を描け」

大観は1868年に水戸藩士・酒井捨彦の長男として誕生。学生時代から絵画に興味を持ち、20歳で当時創設されたばかりの東京美術学校(現・東京藝術大学)に1期生として入学。1期下には菱田春草などがおり、才能溢れる若者たちと絵を学びました。

とりわけ大観に大きな影響を与えたのが、東京美術学校の2代目校長、思想家で日本美術研究の第一人者でもある岡倉天心。ある日、大観が山をスケッチして天心に見せると「風の音を描いてこい」と言われ、別の日には壺のスケッチに対し「音が聞こえん。叩けば音がする。お前が描いた壺は叩いても音がしない」と言われたとか。そこで大観は、実技はできて当たり前、実技以外のことも学ばないと天心の言葉は理解できないと常に勉強し続けたそうです。

片桐は次に1階へ。第二客間には「春光る(習作)」(1946年)が。習作とは練習のための作品ですが、大観のそれは「習作と言いつつ、かなり描き込んでいますね」と片桐も目を丸くします。

「春光る」の習作は13枚残されていますが、通常、日本画家は下図を作り、習作へと入るため失敗作はそうそう出ません。しかし、大観は下図から入ると画に勢いがなくなると下図なしで本番に入っていたため、描き直しがたくさんあると言います。佐藤さんが「大観は頭のなかにいろいろな富士山の像が詰まっていて、実際に見なくても理想的に描くことができたんだと思う。目に見えないものを描くという天心の教えを忘れなかった」と解説すると、片桐も「実際に見たものを描くより、理想を描いたほうが伝わるものがあるってことですね」と納得。

◆国内では酷評も海外で高評価された新たな画法

大観は27歳のときに東京美術学校に戻り、助教授に就任。しかしその2年後、天心が排斥運動により校長を辞し、新たな日本画の創造を目指し「日本美術院」を設立すると大観も菱田らとともに合流。天心の元で新しい表現方法を模索しました。

そして、西洋画の技法を取り入れた新たな画風の開発を進め、天心の「空気を描く工夫はないか」という言葉を受け、編み出した「没線描法」の絵画を発表。これは輪郭を線ではっきりと描かず柔らかく描く技法で、当時としては斬新すぎて保守的な画壇からは酷評されてしまいます。

輪郭がないことでぼんやり見えることから「朦朧体(もうろうたい)」と揶揄されたこともあったそうですが、大観らは挫けず「没線描法」をさらに発展。同時に国内での活動に行き詰まりを感じていた大観は、菱田とともに海外に渡り、インドやアメリカ、フランスなどで展覧会を開きます。すると高い評価を獲得し、それを受け日本国内でも評価され、日本画壇の重鎮として確固たる地位を築きます。そんな波乱万丈の人生を支えたのは天心から学んだ「常識に捉われない発想力」と「決して諦めずに努力を続けた強い心」でした。

◆大観の代表作にして唯一無二の「霊峰飛鶴」に感動!

続いて片桐が向かったのは1階にある大きな炉の間(客間「鉦鼓洞」)。「いいですね~、最高!」と絶賛するその部屋は、床が高く作られ、庭全体を俯瞰して眺めることができます。ちなみに庭の設計から植える植物も全て大観が決めたもので、現在は記念館ともども国が指定した「史跡及び名勝」に選ばれています。

部屋のなかには重要文化財である不動明王が飾られていますが、これは大観が大事にしていたという私物。そして、その隣には切手にもなった大観の代表作、85歳のときに描いた「霊峰飛鶴」(1953年)が。

大観は生涯で数多くの富士山を描き、一説には1,500点とも言われていますが、その絵は徐々に変化。佐藤さん曰く、戦後は戦前・戦中に比べ、おめでたい感じになっていったとか。そんな富士山を観て片桐は「おめでたい富士山の絵は喜ばれる。この富士山を見ると元気が出る」と言います。

なかでも「霊峰飛鶴」は、その色合いも絶妙で「富士山の日の出を見ているよう」、「明るい感じがするから、気持ちが上がる。今で言うと“映え”のする作品というか」と片桐は圧倒されっぱなし。実際、これは大観が編み出してきたさまざまな技法が使われた、まさに唯一無二の作品。朦朧体の時期を経ないとありえない表現だそうで、片桐も「朦朧体と呼ばれるボワッとした感じと富士山が合う。そして、ボワッとしたなかでも真ん中に目がいくように富士山がくっきり出ている。いろいろな作風を経てこうなっていったんですね」と感慨深そうに話していました。

横山大観記念館を巡った片桐は「ここに横山大観がいて、ここで作品を作っていたというのが実感できる、スゴく貴重な空間にお邪魔できた」と喜び、「横山大観は大先生のイメージだったが生身の人間として感じることができたのは面白いなと思いました」と感想を述べ、横山大観記念館に収められた名画とそこから感じ取れる大観の人生劇場に盛大な拍手を贈っていました。

最後に片桐は、横山大観記念館でも大好きな館内併設のショップへ。すると、「これ見てください」と手にしたのは何種類もある富士山のポストカード。「全部違いますからね。これは面白い」と興味津々。「富士山の描き分け、ありとあらゆるタイプの富士山を、それこそ見て描いたわけではなく、頭・心のなかの理想の富士山を描いていた。モチーフとして富士山というのは面白いんでしょうね」と大観の気持ちを慮っていました。

※なお、今回紹介した「横山大観記念館」は、耐震補強工事のため2022年春まで休館中です。詳しくは同館の公式サイトにてご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

 

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