9(ク)レイジーだぜ。

開局20周年記念 2夜連続 特別企画 アート・ステージ 浮世絵SPECIAL 5月5日(火/祝)、6日(水/祝)20:00~21:00 (TOKYO MX1)

日本美術の魅力を、日本人はまだ知らない。

19世紀後半、ヨーロッパの万国博覧会をきっかけに注目が集まった浮世絵。そして近年、陶器や伝統工芸など多岐にわたる日本の魅力が改めて注目されています。日本人として知っておきたい日本の美、奥深さ、面白さを探り、浮世絵の魅力に触れる旅へご案内します。

葛飾北斎

幾度にも渡って画号を変え、住まいを移し、長寿人生を歩みながら最後まで絵筆を離さなかった北斎の人生とは?100年以上行方知れずだった北斎の肉筆画発見という最新の話題も交えながら、“世界の北斎”の生涯と作品の旅へいざないます。
5月5日(火/祝)20:00~21:00
TOKYO MX1
「葛飾北斎 驚異の世界Part2 -浮世絵師最大の巨匠 北斎の名画誕生の秘密-」

Who is 北斎?

フランス印象派の誕生に多大な影響を与え、人物、自然から妖怪まで、森羅万象を独創的に表現できる万能の絵師。日本だけでなく世界からも高く評価されている。

生涯で3万点以上の作品

北斎が生涯に残した作品は、なんと3万点以上。この数は、仮に毎日1枚ずつ描いたとしても、80年以上かかるほどの膨大な数。北斎は亡くなる寸前まで絵を描いていたと言われている。

畳21畳大の作品も

北斎は80代後半の時に、なんと畳21畳分の大きさもある作品「大鳳凰図」を完成させている。作品の数だけでなく、作品自体もスケールが大きかった。

36回も改名している

絵師としてのデビュー時は、師匠である勝川春章から名をもらい、「勝川春郎」と名乗っていた。以降、「宗理」、「辰政(ときまさ)」など36回も改名をしている。一説には、名前を売っていたという話も。

まだまだある北斎のクレイジー
93回も引っ越している

北斎は現在の東京墨田区近辺で生涯90回以上も引っ越しをしている。引っ越し先はほとんどが近所だったと言われているが、1日に3回も引っ越したことがあるほど住居が定まっていなかった。

家はゴミ屋敷状態

引っ越しが多いうえ、部屋には食べたゴミがそのまま放置されており、ゴミまみれの家だったと言われている。

行儀の悪い大人

北斎は行儀作法を好まず、挨拶もそっけない人物であった。浮世絵で日本の文化発展に貢献した人物でありながらも、世間からの目は気にしていなかったよう。

草食系男子の先駆け

北斎は当時としては珍しく、お酒を全く飲まなかった。さらに、甘いお菓子が大好きであったと言われている。その姿はまるで現代の草食系男子そのものである。

娘に珍名をつける

自らの改名が多いこともさることながら、娘を呼ぶときに「おーい」と呼んでいたことから、娘の絵師としての名を「葛飾応為(おうい)」と名付けた。

90歳まで生きた長寿中の長寿

江戸時代の平均寿命は40代と言われているが、北斎はその中で90歳まで生きた伝説とも言える存在。それでも北斎は90歳のときに「あと寿命が10年欲しい」と言っていたそうな。

弟子の数は100人以上

北斎は門人の数が極めて多く、孫弟子も含めて100人以上、一説には200人近くまでいたとも言われている。

漫画家の先駆け

「漫画」の原点とも言えるような絵手本「北斎漫画」を生み出し、多くの絵師や世界の画家たちに影響を及ぼした。日本にマンガが普及しているのも北斎のおかげなのかもしれない。

喜多川歌麿

多彩な浮世絵の世界は、多くの絵師たちが火花を散らしあい、腕を競い合うことでさらに広がりを見せていきます。 喜多川歌麿は、「美人画の巨人」とも呼ばれており、美人画の常識を変えた人物でもありました。彼はいかにして浮世絵に革命をもたらしたのか。その真相に迫ります。
5月6日(水/祝)20:00~21:00
TOKYO MX1
「北斎と江戸を彩った浮世絵師たち -歌麿・写楽・豊国・広重-」

不明の多き浮世絵師

江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人で、海外でも北斎と並び称される存在であるが、いつ、どこで生まれたのかなど明らかにされていない。

美人画に革命を起こした鬼才

歌麿以前は、美人画と言えば全身を描くのが常識であった。そこに女性の上半身をクローズアップした大首絵という手法を生み出し、歌麿は女性の繊細な表情を描きわけることに成功した。

幕府の規制や権力に立ち向かう英雄

幕府の出版物に対する検閲が厳しくなっていた時期にも、歌麿はその規制をかいくぐる手法で画を描いていたと言われている。幕府が何度も規制を強化しても、歌麿はまるでそれに立ち向かうべく新しい手法で画を生み出し続けた。その反骨精神が多くの人を魅了した。

東洲斎写楽

鮮烈なデビューで一躍、人気者となった写楽。しかし、彼の多くは謎で溢れていました。写楽はいったいどんな人生を歩んだのでしょう。
5月6日(水/祝)20:00~21:00
TOKYO MX1
「北斎と江戸を彩った浮世絵師たち -歌麿・写楽・豊国・広重-」

一度で28点もの作品を発表

無名の新人時代に、いきなり28点もの役者絵を発表。世間に度肝を抜かせた。

しかし活動期間はたったの10か月

斬新な写楽の作品に世間が注目するも、一時の物珍しさに過ぎず、写楽の人気は一過性のものに終わってしまった。

忽然と姿を消した謎の人物

約10か月間の活動で140数点の作品を残したが、人気の低下によって最後は忽然と姿を消した。あまりに短い活動期間ゆえ、写楽が何者であったのかは定まっておらず、いろいろな説が浮上している。

歌川広重

北斎が「冨嶽三十六景」を完成させた同じ頃、浮世絵にもう一つの名作が生まれました。その作者こそ広重です。北斎と共に「名所絵」の発展に貢献した広重の生涯と作品をご紹介します。
5月6日(水/祝)20:00~21:00
TOKYO MX1
「北斎と江戸を彩った浮世絵師たち -歌麿・写楽・豊国・広重-」

絵を描きながら東海道を往復

交通手段が限られている時代に東海道(江戸~京都)片道約500Kmの距離を、絵を描きながら往復し『東海道五十三次』シリーズを生み出した。

ゴッホも真似した絵師

広重のズームアップを取り入れた斬新な構図や実際にはあり得ない高い場所からの俯瞰など奇抜な構図は西洋の巨匠も魅了した。広重の「亀戸梅屋舗」という作品は、ゴッホも油絵での模写に挑んでいる。

シリーズで118万部以上擦られた作品も

広重の作品「名所江戸百景」シリーズは、全部で118点。その全てが1万部以上擦られたという。現代で言うベストセラー作家のような存在とも言え、江戸の多くの人々に感動を与えた。